しっとりとした雨が降る日曜日。
ばあさん猫と、ラジオから流れているモーツァルトのバイオリン協奏曲を聴いています。出だしからモーツァルトらしい感じがして、雨の日曜日にぴったり。
昨日は、いとこのMちゃんと久しぶりにライン会話。
「スープ、送ったよ〜」
「助かる!」
近くに息子がいたらしく、電話会話を避けました。こんなときには、ラインは便利です。
どうも高校受験生の次男君に手を焼いているらしい。
そんなもんだよ。
突然の目覚め?
次男の高校受験を思い出して、そんな話をMちゃんとしました。
我が家も、すったもんだ、しました。
次男は公立高校受験直前に「あそこには行きたくない」と言い出したのです。
あまりに突然のことでした。
どれだけ突然だったかと言うと、
試験の数日前で、すでに受験票は手元にあるという状況。
後は受けるだけ。
ほぼ合格圏内の成績だったので、なんの心配もしていませんでした。
長男の時には、担任や親がランクを下げたほうがいいと言うのに、県立ならどうしてもあそこと譲らずに受験。奇跡的な合格でしたが、ほんと、ハラハラさせられました。
埼玉県立高校のルールは、試験を受けてしまうと、入学辞退はできない仕組み。
行きたくない場合の選択は2つ
- 受験の取り消し手続き
- 試験で落ちるような答案を書く
落ちるような答案を書くなんて、それは無理。問題を前にしたら、世慣れしていない中学生はつい正解を書いてしまうはず。
受験取り消し手続きの場合は、すでに合格している私立高校の入学許可証を提出して手続きをしなくてはなりません。
合格証はあっても、入学手続きはまだ。調べてみると、第一次の手続きの期間は終わっている。
どーする!?
なんでなの?
県立高校へ入るとばかり思っていたものだから、大慌ての母親。
なんでなのぉ?
どうしてなのぉ?
疑問符ばかりが頭の中を飛び交います。
お兄ちゃんとお揃いの学校でいいじゃん。
次男はとにかく行きたくないと言い張る。
1校だけ受けていた私立高校は合格済みで、どうしてもそこに行きたいと言うのです。
いやいや、そこしか行く所はないけどね。
「どうか、あそこに行かせて!」
「あそこの雰囲気が大好きなんだ!」
熱のこもった弁舌。
それまで、そんなこと言ったことなかったよね。とりあえず滑り止めとして受けとくって感じだったよね。
晴天のへきれき級の驚き。
ひと晩話し合って、受験しない手続をとることにしました。
次男の答弁に納得はできなかっけれど、ごり押しして県立に行かせても、責任持てないなあと思ったのが、その理由です。
責任を逃れたい母
自分で決めたことには、きっと責任を持つだろう。
それと、もうひとつ、頭をよぎった理由がありました。
長男と違う進路のほうがいいかもしれない
兄弟、それぞれ別の世界のほうが気が楽かもしれないな。そろそろ道が分かれるのも、アリかなと。
長男は県立、次男は私立
朝になって、その私立高校に電話にて事情を丁寧に説明したら、
「喜んでお引き受けいたします」と言っていただきました。
手続き期間ではありませんでしたが、便宜を図っていただけることになりました。
急ぎ、次男と電車に乗り、手続をするために学校の門をくぐりました。
まさか、次男がここに来ることになろうとは。
実はこの学校は、長男の性格に合うのではないかと、高校図鑑から見つけ出した学校。
教育方針が個性的で長男の独特な個性に合っていると思えたからでした。馴染みのあるキリスト教主義の学校でもあったので、安心感がありました。
問題は地元の中学からの進学者はゼロだということ。実績も情報もないので、先生方も困惑気味でした。
でも、学校説明会の雰囲気も先生方の話も納得できたので、ここならいいなと。
長男が県立高校に進んだことで、縁がなかったんだなあと思っていましたが、なんと、縁があった!
入学許可書を出していただき、県立高校の受験辞退の手続きに向かいました。
縁があったこと、ちょっとうれしかったことを思い出します。
親の目なんて、当てにはならず
結局、長男はバンカラな県立男子校へ滑り込み、そして次男はちょいとシャレた私立男子高校へ進学することになりました。
長男の高校では、暖房が入るのは入試のときだけ。男子たるもの、そんなものはいらんという古っぽい校風で、ことあるごとに肩組んで応援歌を歌うのが習い。(いまは暖冷房ありのようですけれど)
次男の高校は、ブレザーの正しい着方をデザイナーを迎えて講習会を開くという、ジェントルマン養成学校風。先生方もとてもおしゃれでした。
体育の後には多種類の制汗剤が臭いので、商品を統一してほしいと、担任が保護者会で語っていたりとか(笑)
こうして長男は暖冷房まるでなしの生活を、次男は暖冷房効きすぎの生活を、それぞれ3年間謳歌しました。
学費は生活環境に、まるっと比例です。
とりあえず、2人とも、高校は自分で選んで進んだということ。
そして…
2人とも、その高校が合っていた!
親の見る目なんて、大したことないなあということを知りました。
わたしは対局にある校風を、楽しませてもらいました。
2人は実に高校の校風のようなイメージの大人になっております。同じ親が育てたと思えないほど(笑)
本当の理由
大人になってから、ボツボツと高校受験時の話をするようになった次男。
なんと、県立拒否の理由は、
あの運動着が、どうしてもイヤ
おいっ、そんなことかい!
実は入試直前まで、自分の進路を真剣に考えることもなかったらしい。
でも、いよいよ目の前に高校が迫ってきたときに、学園祭のシーンが蘇ってきて、焦ったのだそう。
ああいう雰囲気は好きではないと、はっきり認識したのだそうです。自分は違うと。
校風が自分に合っているのか、いないのか。
それは、偏差値よりも重大な問題だった。
次男が自分の感性に合わないと判断したのは正しかったようで、
“いまの基礎を作ったのは、あの学校”
そう言い切ります。
朝早く電車に乗って、なんでこんな所まで通ってるんだと思うこともあったけれど、母親には弱音は吐けないと思ったそうです。
一緒に入学金を収めに行って、大金を出した母親を見たから。
いまでも「入れてくれて、ありがとう」と言ってくれます。
中学生の頭の中、ちらりとのぞいてみたいもんです。思いの外、いろんな思いが駆け巡っているのかも。
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高校受験すったもんだ、我が家もありましたよ!
息子は、中学生になってからほんとに扱いづらくて…やはり公立高校を直前で受験辞退しました。
ほんとに振り回されたなぁと記憶しています。
行きたくない理由は、学年カラーのネクタイの色が嫌だったんだと。じゃあ、最初から願書だすなよなあって思ったもんでしたよ。
結果的に行けた私立高は不便なくらい自由な校風。
なんでも自分で決めてやるって大変なことなんだと嫌というほど学ばせてもらいました。この学校でなければ彼は高校卒業が出来なかったと今では感謝しています。
他県で乗り換えがあったりで地元の友達は誰もいなかったですが、それもよかったです。
その頃は、主人も生きていて、息子にあったよい学校だったとよく言っていました。
なんというか〜頭が禿げそうな思いもしましたが、結果的にその学校でよかったと後で思えるのが、受験に成功した!ってことかなあと今になって感じています。なんとあの思いから10年経ちました。
まめぴよさん
こんばんは。
いるんですねえ、受験辞退組。
周りで聞いたことがなかったので、うれしいです。
しかも、ネクタイの色だなんて、似たような動機で(笑)
でも、ちょっと真面目に考えると、
何か閃くものがあったんでしょうね。
まめぴよさんの息子さんも、うちの息子も、
進学した学校が合ってたわけですから。
受験の成功って、そういうことですよね。
まめぴよさんに同意!
りっつんさん こんばんは
息子から感謝の言葉を聞いたことはありません。
たぶん不満があるのだと思います。
良かれと思っても、親の価値観を押し付けてきた
のでしょうね。
でもきっと、今度生まれ変わっても、同じ育て方
をすると思います。
私は息子に満足しているので。
(顔は好みではないですけど 笑)
ただ、兄弟を作ってあげられなかったことは後悔
しています。
性格の違う子ども達がいると楽しいでしょうね。
相棒さん
こんばんは
息子さんが言わないのは、照れてるからですよ。
心の中では思ってますって。
子どもは授かりものだと信じていました。
わたしのところにきてくれたのは2人。
それが神様の思し召しですよ。
性格が違いすぎて、迷走してしまいます(笑)
ブログを始めたきっかけが、リッツんブログなんです。私にはできない。と思っていたのです。私は56歳。でも両学長のYouTubeから、リッツんさんを知り、挑戦しようと思いました。読者になって応援させていただきます。ありがとうございます。
Norikoさん
はじめまして。
コメント、ありがとうございます。
挑戦のきっかけになれて、うれしいです。
とにかく続けることです。
毎日の積み重ねが、いつか大きな宝物になりますよ。
コメント、遅ればせながら失礼致します。メロンパンから飛んできました。
メロンパン、今の私は1回に1/3くらいしか食べられないと思います。胃が小さくなって。
それは置いといて、家も高校受験、当然公立だと思って塾へ通わせていたのに、本人の思いは違ってました。
電車通学の私立高、でも長い目で見たら、その3年間が人生に及ぼす影響も大きいのではないかと思い
そちらへ進ませました。
私が死んでも、一時は落ち込むかもしれないけど、前を向いて歩いて行ける子に育ったんじゃないかな?
しばふねさん
こんにちは!
親の思いと子の思い。
けっこう、違うもんなんですよね。
あの時は本当に驚きました。
高校の3年間はその人の人生に深く関わることもあるということを、
息子たちを通して学びました。
もう、わたしが死んでも、誰も困らないです(笑)
そう思うと、本当に気楽。
ま、涙くらいはこぼしてくれるかと。