数日前に突然、あんぱんが食べたくなりました。
それも、つぶあんのあんぱん。
こしあん好きなのに、なんで、つぶあん?
セブンのあんぱん
ということで、セブンのあんぱんを食べたのが、おとといのことでした。
あんぱん。
嫌いではないけれど、食べなきゃいられないってほどの好物でもないです。
ところが、また、食べたくなりました。
連続あんぱん。
再び、セブンへ向かったのは昨日の午後のこと。
そして今朝のごはんとなりました。
朝ごはんにあんぱんなんて、何年ぶりかしら。
ニュースに映し出される”再会のシーン”を見ながら食べました。
日本のあちらこちらで、じいちゃんやばあちゃんとの再会を喜んでいるシーン。
そうだった!今日はお盆だ。
そういえば・・・・
父があんぱんやら豆大福が好きだったなあ。
これは、父が食べたがっているのに違いないです。
酒飲みだった父。
甘いものを食べるようになったのは、還暦を過ぎてからでしたが、あんこにはうるさかった。
もしかすると、実家では、お酒は供えて、まだあんこを供えていないのかもしれない(笑)
じいちゃん、セブンのつぶあんぱんも、なかなかうまいっちゃね。
墓参りを済ませて
先月の末。
思い立って、父の墓参りをして来ました。
東北新幹線にSuicaで乗れるようになって、仙台がますます近くに感じられるようになりました。思い立ったら、ささっと行ける。
5年ぶりの墓参り。
仙台市の大規模な墓園は、山ひとつがお墓の団地。あんなところ、他にもあるのかしら。夜は怖くて、とても1人じゃ歩けない。1人じゃなくても歩けない(笑)
かすかに覚えていたお墓の住所を、記憶をたどり、坂道をたどり、なんとか父の眠るお墓の前に立つことができました。
木が邪魔して見えなくなっているけれど、遠くに海が見える場所に父はいます。
石巻出身の父。泳ぎが得意だった父。
きっと、毎日、海を見ていることでしょう。
花を供えて、線香をたむけて、帰って来ました。
父の最期
父は胃がんでしたが、あれは老衰というものだろうと思っています。
食べられなくなり、飲めなくなり、亡くなったのですから。
86歳の誕生日を10日ほど過ごして、逝きました。
胃がんがわかったのは、亡くなる2ヶ月前のことでした。
突然に水も通らなくなったのです。直前まで食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、元気に暮らしていましたのに。
検査したところ、胃の入り口には固形のがんが、胃の底にはスキルスがんが広がっていて、もう改善の見込みはないということでした。
父は自宅に戻ることを希望し、みんなで話し合いをして、在宅ホスピスを選ぶことになりました。
わたしは猫を近所の人に頼んで、仙台と自宅を行ったり来たり。かなりの時間を父と過ごしました。
毎日、看護婦さんが様子を見にきてくれて、なんの心配もなく過ごすことができました。
死ぬという大前提があるならば、周りにもその覚悟があるならば、慌てることなど何もないのです。
「いい人生でした」
そんな言葉を残して、家族に囲まれて、父は逝きました。
夫の最後の願い
28年前に夫が最後に望んだことは家に帰るということでした。
ホスピスに入院して、2日後くらいのことでした。
「家に帰りたいなあ」
そう言ったのです。
ホスピスに入った時点で、もうすでに危篤状態と言われていたので、わたしは無理だろうと思いました。
しかし、先生と看護婦さんは、
「◯◯さん、ぜひ帰りましょう!」
そう言ってくださいました。
民間の救急車を手配して、自分が同行すれば、なんとかなるかもしれないと、先生はおっしゃってくださいました。
そんな話をしていたら、夫が吹っ切ったようにはっきりと言いました。
「ここにいます。ありがとう!」
願いは叶えられなくても、叶えてくれようとする人たちに囲まれていることが、夫の気持ちを和ませたのでしょう。
もう立って歩く力はありませんでした。
ホスピスのスタッフさんたちとは知り合ったばかりでしたが、本当に親身になって接してくださいました。
あの当時ホスピスに入れだけでも、かなり恵まれていたなあと、思います。
やれることはやったつもりです。
それなのに、夫の最後の願いを叶えてあげたかったなあと、いまでも思うのです。
こんな後悔を残してくれた夫。
その後悔があるからこそ、父が望む最後の希望に、迷うことなく同意することができたのです。
シャンクスも手元で看取ることができたのです。
人が残していく思い。
生かせるのは、生きている者だけです。
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りっつんさん、あんぱんの見出しに惹かれて読み始めたけれど、最後は、泣いていました。
お盆は、年に一度、いろいろな事を思い出させますね。
しばふねさん
おはようございます。
あんぱんの話から夫の話になってしまったのは、
やっぱり「お盆マジック」かと。
いつもコメント、ありがとうございます!
それぞれの最期がありますね。
ご主人もいろいろ考えられたのでしょうね。
夫は最期の1週間病院だったんですけど、
あんなに家にいたがっていたのになぜ?と聞いたら、
「僕が死んだ所で君がこれから生きていくのはつらいだろ」と言ったんですよ。
意識が遠くなる中、最期は「それでいい、それでいい」でした。
わたしが最期の時、全てを肯定できるような
言葉が言えるかな、と思ってしまう。
お盆は嫌でも故人を思い出し、切ないのですが、
その人の人生と引き換えに教えてもらったことを
胸に刻む大事な日だと思っています。
(特別なことはしないんですけど)
しろねこさん
おはようこざいます。
ご主人の言葉、温かいですね。
残していく人を気遣えるなんて、心の大きい方だったのですね。
わたしは最後に何を言うのか。
とても、興味、あります。